「かもめ」 チェーホフ作 沼野充義訳 (集英社文庫)
作家志望の青年と、女優志望の少女の、愛の悲喜劇です。
チェーホフの四大戯曲の最初の作品で、古典的名作です。
現在、集英社文庫版のほか、岩波文庫、新潮文庫などから出ています。
私は、集英社文庫の沼野訳が、一番分かりやすく感じました。
岩波文庫版の浦訳も、とても分かりやすかったです。
新潮文庫版は、プーシキンの名訳で知られる神西訳。根強いファンが多い。
女優アルカージナは、作家トリゴーリンと恋仲。
アルカージナの息子トレープレフは、女優の卵ニーナと恋仲。
と思ったら、ニーナはトリゴーリンと恋仲になり、トレープレフから離れていきます。
一方、トレープレフのことを、マーシャという娘が片思い。
そのマーシャを、メドヴェジェンコという教師が片思いしています。
人間関係を整理しようとしたのに、かえってなんだか、ごちゃごちゃしてきました。
いったい誰が主人公なのか、いつまでたっても、見えてきません。
ただ、人間関係の中心に、作家志望のトレープレフがいるらしい。
さて、この戯曲の魅力は、会話の妙にあります。
一見、かみ合ってないようで、かみ合っている。
また、かみ合っているようで、かみ合っていない。
それは、そのまま登場人物の、人間関係にも言えることです。
そして、この劇全体に、不思議な雰囲気を与えています。
特に、最後の場面の、「私はかもめ」というニーナの言葉。
単純ですが、意味深なセリフです。そして、有名です。
チェーホフを読んだことのなかった私も、このセリフを知っていました。
ただし、ロシア宇宙飛行士の言葉として、知っていたのですが。
結末は、どう見ても悲劇。
しかし、作者チェーホフは、この作品を喜劇として扱っています。
ところで、今年9月の「100分de名著」で、「かもめ」を取り上げていました。
このうすっぺらい本に、100分もかけて何を論じるのかと思い、見なかった。
でも、この作品を読んだ今なら、分かります。
ちょっとした言葉に、語りつくせないほどの、深い意味が感じられます。
番組では、限られた時間で何を論じたのか、今更ながら気になります。
さいごに。(昇仙峡へもみじ狩り)
日曜日に、家族3人で、山梨県の昇仙峡へ行ってきました。
紅葉は見ごろを過ぎたと聞いていましたが、とてもきれいでした。
ロープウェイで、山頂のパワースポットへ行くと、予想以上の人ごみ。
私も、絶景「浮き富士」から、パワーをもらいました。
しかし、帰りの運転でパワーを使い果たしました。道を間違えてしまって。