「松蘿玉液(しょうらぎょくえき)」 正岡子規 (岩波文庫)
病床にある28歳の正岡子規が、新聞「日本」に連載していた随筆です。
「墨汁一滴」「仰臥漫録」「病牀六尺」とともに子規の四大随筆です。
岩波文庫から出ています。
アマゾンでは品切れ。岩波書店のHPでは在庫僅少。
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- 作者: 正岡 子規
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1984/02/16
- メディア: 文庫
日清戦争の従軍記者として帰国の途上にあった子規は、喀血して危篤に。
翌明治28年に書き始めた随筆が、この作品です。
病床にあったとはいえ、子規は28歳。この頃はまだまだ元気です。
筆にも勢いがあります。
私のお気に入りは、「貧しきは」の章。(P102)
「貧の極度は一文もなきことぞと覚えたる書生の内はなかなかに
一文もなきこそ魂落ちつきて心安きこと多けれ。」
それから、こんなことも言っています。(P102)
「貧は一文なしより楽しきはなく病は静かに寝たるより安きはなし。」
この作品で注目されるのは、ベースボールの説明です。
子規は日本に野球を、最初に紹介した人です。
野球を知らない当時の日本人に、複雑なルールを活字で伝えています。
よほど野球がすきだったのでしょう。文が生き生きしています。
ところで子規は喀血後(この作品執筆前)、故郷の松山で静養しました。
そのとき親友の夏目漱石が、英語教師として松山に赴任していました。
そこで、子規は漱石の下宿に転がり込んで、52日間同居しました。
現在その家は、「愚陀仏庵」と呼ばれ、松山の名所になっています。
私もそこへ立ち寄りました。20前に、バイクで旅した時のことです。
私は20代。子規がマイブームで、書棚の子規本は当時買ったものです。
さて、「松蘿玉液」に、漱石が出てくるわけではありません。
しかしこの作品を読むと、子規と漱石の友情が自然と思い出されます。
ついでながら、子規の従軍記は「飯待つ間」(岩波文庫)で読めます。
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- 作者: 正岡 子規
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985/03/18
- メディア: 文庫
さいごに。(登山のアルバム作り)
北アルプス登山は、2週間前に終わりました。
しかし下山後は、アルバム作りという楽しみがあります。
写真を貼りながら、もう一度、山の時間をじっくり味わっています。
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