「松蘿玉液(しょうらぎょくえき)」 正岡子規 (岩波文庫)
病床にある28歳の正岡子規が、新聞「日本」に連載していた随筆です。
「墨汁一滴」「仰臥漫録」「病牀六尺」とともに子規の四大随筆です。
岩波文庫から出ています。
アマゾンでは品切れ。岩波書店のHPでは在庫僅少。
日清戦争の従軍記者として帰国の途上にあった子規は、喀血して危篤に。
翌明治28年に書き始めた随筆が、この作品です。
病床にあったとはいえ、子規は28歳。この頃はまだまだ元気です。
筆にも勢いがあります。
私のお気に入りは、「貧しきは」の章。(P102)
「貧の極度は一文もなきことぞと覚えたる書生の内はなかなかに
一文もなきこそ魂落ちつきて心安きこと多けれ。」
それから、こんなことも言っています。(P102)
「貧は一文なしより楽しきはなく病は静かに寝たるより安きはなし。」
この作品で注目されるのは、ベースボールの説明です。
子規は日本に野球を、最初に紹介した人です。
野球を知らない当時の日本人に、複雑なルールを活字で伝えています。
よほど野球がすきだったのでしょう。文が生き生きしています。
ところで子規は喀血後(この作品執筆前)、故郷の松山で静養しました。
そのとき親友の夏目漱石が、英語教師として松山に赴任していました。
そこで、子規は漱石の下宿に転がり込んで、52日間同居しました。
現在その家は、「愚陀仏庵」と呼ばれ、松山の名所になっています。
私もそこへ立ち寄りました。20前に、バイクで旅した時のことです。
私は20代。子規がマイブームで、書棚の子規本は当時買ったものです。
さて、「松蘿玉液」に、漱石が出てくるわけではありません。
しかしこの作品を読むと、子規と漱石の友情が自然と思い出されます。
ついでながら、子規の従軍記は「飯待つ間」(岩波文庫)で読めます。
さいごに。(登山のアルバム作り)
北アルプス登山は、2週間前に終わりました。
しかし下山後は、アルバム作りという楽しみがあります。
写真を貼りながら、もう一度、山の時間をじっくり味わっています。
