「ファウスト博士」 トーマス・マン作 関泰祐・関楠生訳 (岩波文庫)
ある文献学者が語る、天才作曲家アドリアン・レーヴェルキューンの物語です。
トーマス・マンの晩年の傑作で、亡命先のアメリカで執筆されました。
現在、岩波文庫から出ています。初版は1974年。
もともと1952年~54年に、岩波現代叢書から出たものの改訳です。
ファウスト博士の物語ではありません。架空の音楽家アドリアンの伝記です。
表紙の作品紹介を読んで、私は初めてそのことを知りました。
さて、アドリアンは音楽の道に進むため、ライプチヒへ旅立ちました。
案内者によって娼婦の館に連れて行かれ、そこで一人の娼婦に出会いました。
病気治療で町を去っていた彼女を、アドリアンは追い求め、探し当てました。
そして、彼女が与えた警告を無視して、行為におよんでしまうのです。
これが、アドリアンの人生に、決定的な意味を与えました。
それは、悪魔との血の契約だったのです。
悪魔的な想像力を発揮する一方で、破滅に向かってひた走るアドリアン。
最後の大作「ファウスト博士の嘆き」を完成させると、・・・
さすが、「魔の山」のトーマス・マンです。この作品も、強烈でした。
脱線しながら続くおしゃべり、感情だけが空回りする議論など、マン節も健在。
そして、興味深いのは、二重の時間。
「物語の内容が演ぜられている時間」と「語り手が活動している時間」です。
この二つの時間は照応していて、「アドリアン」と「ドイツ」は重なります。
悪魔の取引を受け入れて、狂気によって破滅に向かう「アドリアン」。
ナチス政権を受け入れて、暴走によって破滅に向かう「ドイツ」。
ナチス政権に抵抗していたマンは、亡命先のアメリカでこれを書きました。
物語の語り手が至る所でドイツ批判をやっている理由が、そこにあります。
ところで、この作品から、タルティーニの「悪魔のトリル」を連想しました。
ムターによる演奏がオススメ。悪魔的な美しさがあります。

- アーティスト: ムター(アンネ=ゾフィー),サラサーテ,フォーレ,ビエニアフスキ,タルティーニ,ラヴェル,マスネ,レヴァイン(ジェイムズ),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2005/10/26
- メディア: CD
昨年末、私は地元の書店で、「ファウスト博士」を三冊一緒に購入しました。
しかし、現在は品切れです。
実は昨年末、同時に「ワイマルのロッテ」も二冊一緒に購入しました。
そして、この本も上巻が品切れです。
これら名作は、常に文庫本で手に入るようにしてほしいものです。
品切れの本は、人にオススメしにくいので。
さいごに。(初登山)
今年の初登山に行きました。登山といっても、歩行は往復1時間ほど。
寒かったけど、天気が良くて気持ち良かったです。
