「桜の園」 チェーホフ作 浦雅春訳 (古典新訳文庫)
無為に過ごす古い世代が、美しい桜の園を手放すまでの物語です。
チェーホフが死ぬ前年に書いた、四大戯曲の最後の作品です。
現在、古典新訳文庫、岩波文庫、新潮文庫などから出ています。
私にとって最も分かりやすかったのは、古典新訳文庫版です。
浦訳の会話は、とても自然な感じです。ほか二編もすばらしい。
いつもまぬけな古典新訳のカバーも、この本のイラストはかわいらしい。
岩波文庫版の小野訳も、新しくて分かりやすかったです。
新潮文庫版の神西訳は、古いけど名訳として知られています。
ラネフスカヤ夫人が、5年ぶりに、パリから帰り、歓迎を受けます。
しかし、彼女は借金によって、破産寸前。
美しい領地の「桜の園」は、近く競売にかけられることになっていました。
別荘地として売り出したらどうか。商人のロパーヒンはそう提案します。
彼はこの地の農奴の子だったので、かつての主人を助けようとします。
しかし、肝心のラネフスカヤ夫人やその兄は、ちっとも決断できません。
別荘地を売るために、美しい桜を切るなんて、考えられない。
現実に目を伏せて、いつまでも過去の追憶に浸っています。
そうして手をこまねいている間に、とうとう競売の日がやってきて…
領地を高値で競り落としたのは、なんと…
ラネフスカヤ夫人とその兄は、破滅から逃げるすべを知りません。
それどころか、自分から進んで破滅に向かっているようにも見えます。
「これは私の首に吊された重石(おもし)なの。私は重石もろとも地獄に
真っ逆さまに堕ちていくんだけれど、私、この石が好きなの、それなし
では生きて行けないの。」(P100)
ラネフスカヤ夫人が、かつての恋人を重石にたとえている言葉です。
しかし、重石には、もっと多くの意味が込められていそうです。
さて、この作品の結末は、「かもめ」同様に悲しいです。
しかし、「かもめ」同様、作者から喜劇として扱われています。
チェーホフの喜劇の定義は、普通と少し違っていたようです。
さいごに。(知られざる)
娘(6歳)が、またしても、とっぴょうしもない質問をしました。
「知られざる」って、どういう「サル」?という質問。
笑いをこらえながら、真顔で教えるのが、たいへんでした。
笑うと落ち込むので。